ニーハオTaiwan

台湾現地妻による台湾情報ブログ

台湾生活を楽にするためにやってみたこと

やっと50記事投稿できました。このブログがどこかでどなた様の役にたっていればいいなぁと思って書いています。今日のブログには楽しい台湾情報はないので、観光情報をお求めの方はスルーしてくださいね。

 

さて、2か月が滞っていたのでだいぶ前の話になってしまいましたが、40記事記念に台湾に来た一年目のことを書きました。私にとってはすごく辛かった一年で、辛かった原因を書きました。今日は、ではどうやって台湾に慣れていったのか?ということを書きたいと思います。

 

www.nihaotaiwan.net

結論から言うと、「時間が解決してくれた」ということになると思います。以前のブログで書いた原因の解決策という形で文章を進めたいと思います。

 

語学学校生活を楽しめない

役割がない

この点を解決するために日本語とちょっとの中国語でできるアルバイトをはじめてみました。中国語がうまくできなかったり、仕事上のトラブルがあったりとストレスにってしまう部分もありましたが、アルバイトのおかげで彼の家族や親せき以外の台湾人との繋がりができました。今まで知らなかった世界が見えたこと、忙しいので余計なことを考える暇がないこと、会話ができる相手がいること、お金を稼げること。いろんな意味で世界が開けました。

このアルバイトが忙しく、会話をすることで中国語も上達したので、9か月で語学学校を辞めることにしました。

 

居候生活からの脱却

義実家との関係

台湾に来た当初は彼の実家にお世話になったのですが、部屋が見つかったので台湾に来てから半年ほどで引っ越しました。彼と二人の生活は一人暮らしとは違いやっぱりいろいろありましたが、少なくとも彼の家族に気を遣わなくていい生活になったことは大変大きな変化でした。やはり適度な距離というのはとても大切だと私は思ってます(義両親と同居は私には無理だったので、同居されてうまくやっている方をとても尊敬しています)

 

友達がいない

台湾に来た当初は友達を作ろうとインターネットで台湾在住の日本人を探してお茶をしたりしてみました。とても一生懸命努力しました。ですが、元々が人見知りなので、友達と呼べる方とは巡り合えず、そんな自分が嫌になったりもしていたので、無理して知り合いを作ることはやめました。上に書いたようにアルバイト先で会話ができていたので、無理して友達を作らなくてもストレスがたまらない状態になりました。

 

 

台湾食に慣れ、食材の購入も可能になった

台湾に来た当初は台湾の食事にも慣れず(旅行で台湾を訪れていた時は喜んで食べていたものが、なぜか苦痛になりました)、食べたいものがどこに売っているかわからない状況でした。義実家での同居で3食食事の自由がない(と思っていました)ので、そんなこともストレスでした。義実家から引っ越したことで食事の面でも自由度が増し、さらに中国語ができるにつれて伝統市場で買い物したり、行動範囲が広がってデパートを散策してみたりする余裕が生まれたことで生活が楽になっていきました。

 

今、振り返ってみると台湾に来た当初は私の性格上「早くなれなくちゃ」とか「一人じゃなにもできない」と自分を追い込み、だいぶネガティブ、ナーバスな状態が続いていました。それが原因で当時は彼氏の現主人に八つ当たりしたことは数知れず。

 しかし、「台湾に慣れた」ことと「中国語が上達した」ことで生活が安定していきました。もしも海外生活を始めたばかりで辛いと感じるとき、自分に合った方法で状況を変えてみたり、現地の言葉を習得する努力をして自分の世界を広げることは大切なことだと思います。

 

次回は国際結婚を決めたときのことについて書こうと思います。