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台湾現地妻による台湾情報ブログ

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100年前に日本人が歌った台湾「臺灣周遊唱歌」

こんにちはUBです。

 

最近知った「臺灣周遊唱歌」という歌をご紹介したいと思います。

 

1910年に台湾を知る教材として作られた歌です。歌詞はなんと90番まであります。台湾の各地の名産品や地形に関すること、歴史建造物などについて歌われています。歌詞は古文的な言い回しが多いので、すっと入ってくる文章ではないのですが、台湾全土について完結にまとめられています。これを見ると土地の特徴がすぐわかるので、下手にガイドブックを見るより的確だと思いました。

 

100年前、このような歌詞をまとめた宇井英さんは台湾で国語の教師をされた方のようです。90番もの歌詞を、こんなに的確にわかりやすくまとめた方はさぞかし優秀な方だったのでしょう…。

 

歌詞の中には「日本一」とか、「大和魂」とか台湾人はどういう気持ちで歌っていたんでしょうか。歌詞の中に台湾語のパイナップル「をんらい」という語が出てきたのも興味深かったです。

 

私がこの曲を知ったのはyoutube動画からです。23分もある動画ですが、興味のある方はご覧ください。

 


日本時代歌謠..[初音ミク]臺灣周遊唱歌(中文翻譯)

 

 

1
國光四海に かがやきて  
東亜の空に 覇 (は) をなせる
我が日の本の 新領土  
台灣島 (たいわんとう) を さぐり見ん

2
南北長さ 一百里  
めぐりは二百九十餘里
小島あわせて その廣さ 
九州と ほぼひとし

3
山に金銀 海に塩  
製茶 (せいちゃ) 製糖 (せいとう)  果実類 (かじつるい)
水田(みずた)に稲は 二度みのる  
げに帝國の 無盡蔵 (むじんぞう)

4
基隆港(きいるんこう)の あさぼらけ  
登 (のぼ) る朝日の てりそひて
輝 (かがや) きわたる そのながめ  
フオルモサの名も 徒(ただ)ならず

5
最北門(さいほくもん)の 鎖鑰(さやく)にて  
母國 (ぼこく) に渡る 唯一 (ゆいいつ) の
要津(ようしん)なれば朝夕に  
出船入船 絶え間なし
 
6
いざや西部を めぐらんと  
汽笛一聲 進み行く
八堵 (はちと) 七堵 (しちと) の 次は五堵 (ごと)   
水返腳(すいへんきゃく)の 小市街

7
附近の山に 石炭 (せきたん) の  
多く出 (い) づるを 語りつつ
南港 (なんこう) 錫口(しゃくこう) たちまちに  
はや台北 (たいほく) に 著 (つ) きにけり

8
四面は山に かこまれて  
地勢 (ちせい) 京都に さも似 (に) たり
おのづからなる 城壁 (じょうへき) は  
げに萬世 (ばんせい) の かためなり

9
君が御稜威(みいつ)に 高砂の  
浦回(うらわ)の風もをさまりて
ここに開 (ひら) けし 総督府 (そうとくふ)   
文武 (ぶんぶ) の機関 (きかん)  そなわれり

10
市街の規模 (きぼ) は 宏大 (こうだい) に  
道路 平坦 (へいたん)  砥(と)の如く
下水工事 (げすいこうじ) に 至 (いた) るまで  
水も もらさぬ たくみなり

11
幾 (いく) 百年後の 膨張 (ぼうちょう) を 
かねてはかりて 定 (さだ) めたる
市區改正の をゝしさよ  
想ひやるだに たのもしや

12
支線に乗りて 圓山 (まるやま) の  
台灣神社 をがみつゝ
基隆川(きいるんがわ)を うちわたり  
昔をしのぶ 剣潭寺(けんたんじ)

13
夙(つと)に學者の 淵藪(えんそう)と  
稱 (とな) へられたる 士林 (しりん) には
遭難 (そうなん) 六氏 (ろくし) の 碑石 (ひせき) あり  
芝山巌頭(しざんがんとう) 香をとどむ

14
硫黃 (ゆわう) を出 (いだ) す 北投 (ほくとう) は  
音に聞 (きこ) ゆる 溫泉場 (おんせんば)
浴 (ゆあ) みする人 遊ぶひと  
常に絶えずと 聞くぞかし

 

15 
左に高きは 大屯山(だいとんざん)  
右に低きは 紗帽山(しゃぼうざん)
群 (もな) がる山の その奧に  
秀(ひい)でで見ゆる 七星山(しちせいざん)

16
江頭(かんたう)過ぎて 川ぎしに  
沿 (そ) ひつゝ行けば 淡水港(たんすいこう)
河畔(かはん)の丘 (をか) に いかめしき  
建物(たてもの)多く 聳 (そび) えたり

17
屋上 (おくじょう) 高く ひるがへる  
同盟國 (どうめいこく) の 旗 (はた) じるし
問はぬ先 (さき) にも 知られたり  
英國の 領事館

18
三百年の その昔  
萬里 (ばんり) の波を 凌 (しの) ぎ來て
武威 (ぶい) を振 (ふる) ひし イスパニヤ  
サンチャゴ城 此処 (ここ) に建 (た) つ

19
後 (のち) にオランダ 來 (きた) りしが  
鄭氏 (ていし) 代 (かは) りて これに據(よ)る
栄枯 (えいこ) はうつる 世 (と) のならひ  
英雄 (えいゆう) のあと 今いづこ

20
樓 (ろう) に登りて 見渡 (みわた) せば  
舳艪(じくろ)つらねて うち集(つど)ふ
唐船(もろこしぶね)の數 (かず) 知らず  
観音山下(かんのんざんか)畫 (ゑ) の如し

21
此処の港を 船出して  
海路 (かいろ) 僅 (わずか) に 二百餘浬 (り)
その日の中 (うち) に 対岸 (たいがん) の  
廈門(アモイ)の港に 著かるべし

22
再び帰りて 本線に 
うつれば忽 (たちま) ち 艋舺(マンカ)驛
新店川 (しんてんがわ) の 鉄橋も  
またたくひまに うち渡る

23
富豪林氏の 邸宅の  
甍(いらか)つらねて 構(かま)へたる
枋橋(ハンキョウ)越ゆれば 樹林(じゅりん)なり 
山仔腳(サンシキャク)経て鶯歌石(オウカセキ)

24
鳥のかたちに よく似たる  
巨石はたてり 山腹に
鄭軍 砲を うちし時  
頭(かしら)欠けぬと いひ伝ふ

25
三角湧(さんかくゆう)は この奧へ  
一里あまりの 小市街
製脳 (せいのう) 事業 見ん人は  
さらに山路を 辿るべし

26
春桃園(はるとうえん)の 楽郷(らくきょう)に  
遊ぶもうれし 秋は又
大嵙崁(だいこかん)なる 山奧に  
奇巌(きがん)を見るも おもしろし

27
蕃界(ばんかい)近く 踏み入れば  
両岸けはしき 谷川(たにがわ)に
藤(とう)にて造れる  吊り橋の  
あやふくかかる 所あり

28
北部諸山の 生蕃(せいばん)を  
防ぐためとて 要所には
鉄條網を 張り渡し  
隘勇(あいゆう)線を 設けたり

29
崁子腳崁仔腳(かんしきゃく)をば 後にして  
中壢街(ちゅうれきがい)を過ぎ行けば
四面の畑は みな茶の樹 
安平(あんぺい)鎮の 製茶場

30 トップヘ
本島特産烏龍(ううろん)茶  
なほも紅茶の 実況を
知らんと想ふ 人あらば  
必ずくぐれ この門を

31
楊梅壢(ようばいれき)より大湖口(たいここう)  
紅毛田(こうもうでん)を過ぎ行けば
はや著きにけり 新竹に 
ここは昔の 竹塹埔(ちくざんほ)

32
清(しん)の雍正 (ようせい) 元年に  
淡水廰(たんすいちょう)を置かれけり
城壁の跡 猶 (なほ) 殘り  
舊剎 (きゅうせつ) 古廟(こびょう)亦存す

33
市街の西方 約半里  
筆山(せんぴつざん)のいただきに
北白川の 宮殿下  
御露営ありし 遺跡 (いせき) あり

34
新埔(しんぽ)は蜜柑の 本場にて  
北埔(ほくぽ)に椎茸 多く出づ
香山(こうざん)中港(ちゅうこう)過ぎぬれば  
次は造橋(ぞうきょう)後壟(こうろう)よ

35
後壟溪の 鉄橋を  
渡れば此処は 苗栗(びょうりつ)ぞ
石油の産地 出礦坑(しゅっこうこう) 
これより四里の 奧にあり

36
銅鑼灣(どうらわん)三叉河(さんさほ)後里莊(こうりしょう)
米の産地と 名も高き
葫蘆墩(コロトン)驛の近傍(きんぽう)に  
製麻(せいま)會社を 見て行かん

37
此処まで數里の その間  
地勢 (ちせい) 嶮岨(けんそ)の その上に
大安(たいあん)大甲(たいこう)二溪あり  
箱根のトンネル 想ひやる

38
林投(なあたう)編みて作るてふ  
淡水帽の産地なる
大甲 (たいこう) 通宵 (つうしょう) 宛里(えんり)など  
海辺 (うみべ) に近き 土地にあり

39
潭仔墘 (たんしけん)経て その次は  
中部一なる 台中 (たいちゅう) よ
清朝 (しんちょう) かって この土地に  
台灣府をば 置きたりき

40
明治四十一年に  
はじめて成 (な) りし 鉄道の
全通式を 擧 (あ) げたりし  
此処の公園 眺 (なが) めよし

41
陶器(とうき)を出(いだ)す 南投(なんとう)へ  
軽便(けいべん)鉄道 敷(し)かれたり
本島無二の 別天地  
埔里(ほり)社はなほも 奧と聞く

42
流石(さすが)に猛(たけ)き 霧社蕃(むしゃばん)も  
かく(首+或)首(しゅ)の刃(やいば) うちすてて
厚きめぐみを 慕 (した) い來る  
蕃(ばん)産物の 交換所

43
日月潭(じつげつたん)の 勝景(しょうけい)は  
蓬萊(ほうらい)山も よそならず
緑のかげには 鳥歌ひ  
瑠璃(るり)の水には 魚躍(うをおど)る

44
烏日(うじつ)過ぐれば 大肚(たいと)なり  
米の集散 (しゅうさん) おびただし
ここに河あり 大肚溪 (たいとけい)   
水に遊ぶは 水牛 (すいぎゅう) よ

45 
龍車 (りゅうしゃ) に向かふ 蟷螂 (とうろう) が   斧 (をの) を微塵 (みじん) に 砕 (くだ) かれし
彰化 (しょうか) の東 八卦山 
中台 (ちゅうたい) 平野 一 (ひと) ながめ

46
茄苳腳(かとうきゃく)の その次に 
バナナ 朱欒(ザボン)の産地なる
員林(いんりん)過ぐれは 社頭(しゃとう)なり  
田中央(でんちゅうおう)経て二八水(にはちすい)

47
全島一の 大河(たいか)とて  
音に聞こえし 濁水溪(だくすいけい)
大雨(だいう)至れば たちまちに  
平野 (へいや) 変じて 海となる

48
林內(りんない)過ぎて 車窓 (しゃそう) より  
かすかに見ゆる 新高 (にひたか) の
山の高きは 日本一  
明治の帝(みかど) 名を賜 (たま) ふ

49
雲林 (うんりん) 今は 斗六街 (とろくがい)
土匪 (どひ) のさわぎに 大方(おおかた)は
兵火 (へいか) の災 (さい) に 罹 (かか) りにき 
他里霧(たりむ)の次は 大莆林(たいほりん)

50
打貓(たみょう)の西方 三里なる  
北港街(ほくこうがい)の 媽祖宮(まそきゅう)は
四方(よも)の信仰 厚きこと  
本島一と 聞こえたり

51
林爽文(りんそうぶん)の騒亂 (そうらん) に
時の帝 (みかど) が 住民 (じゅうみん) の
義勇 (ぎゆう) 嘉(よ)みして つけられし 
嘉義(かぎ)のほまれは 碑に殘る

52
此処に至らば 農會の  
苗圃(びょうほ)に足を 運ぶべし
小河(をがわ)めぐれる 丘の上  
見渡すかぎり 檳榔子(びんろうじ)

53
大森林 (だいしんりん) の 阿里山 (ありさん) は  
これより數里 奧にあり
枝(えだ)を交 (まじ) ふる 木々(きぎ)の蔭(かげ)
晝 (ひる) 猶暗く ものすごし

54
鉄道線路の 右側に  
立つる目標(めじるし)見おとすな
北回帰線 (きたかいきせん)  
このあたり はや熱帯の 客となる

55
これより南部 おしなべて  
甘蔗(かんしゃ)の畑 打ち続き
製糖會社 そこここに  
煙突 (えんとつ) 高く 競 (きそ) い立つ

56
水堀頭(すいくつとう)より  
後壁寮(こうへきりょう)新營莊(しんえいしょう)の西方(せいほう)に
塩水港(えんすいこう)の 市街あり  
布袋嘴(ほていし)よりは 塩産す

57
林鳳営(りんほうえい)経て 蕃仔田(ばんしでん)  
灣裡(わんり)を過ぎて 新市街
大目降(たいもくこう)は この東  
糖業試験所 設けらる

58
南部のみやこ 台南 (たいなん) は  
本島中に ふるくより
開けし地とて 人多く  
名所舊跡 (めいしょきゅうせき)  亦多し

59
陸軍衛戍 (えいじゅ) 病院は  
オランダ人の 築 (きず) きたる
赤崁樓(せきかんろう)の ありし跡 (あと)   
三層樓閣 (さんそうろうかく)  聳 (そび) えたり

60
鄭成功 (ていせいこう) を 祀 (まつ) りたる  
延平王 (えんぺいおう) の 祠(やしろ)あり
領台以後に 改めて  
開山 (かいざん) 神社と 稱せらる

61
義烈壯烈 (ぎれつそうれつ)  母 刀自(とじ)の  
大和魂 (やまとだま)  うけつぎて
社稷 (しゃしょく) のために 竭(つく)したる  
君がほまれは 千代朽 (ちよく) ちず

62
魁斗山上(かいとさんじょう) 五妃 (ごひ) の墓  
寧靖(ねいせい)王の きさきたち
操 (みさを) まもりて この土地に  
果てぬと聞くも あはれなり

63
全台首學 (ぜんだいしゅがく) と 記 (しる) したる  
大成殿(たいせいでん)の 建物(たてもの)は
公學校に 充(あ)てられて  
今猶 吚唔(いご)の 聲を聞く

64
僭(せん)してここに 台灣の  
王と名のりし 朱一貴(しゅいっき)が
住みし昔の 宮居 (みやゐ) あり  
今法院を 此処に置く

65
そぞろに涙 そのかみを  
しのびまつるも かしこしや
北白川の宮殿下  
ここにみまかり 給(たま)いけり

66
君の勅(みこと)をうけたまひ  
近衛 (このゑ) の兵を ひきつれて
島を平 (たい) らげ 給いたる  
親王(みこ)のみいさを 忘るなよ

67
名は安平(あんぴん)と 聞こゆれど  
港 (みなと) 次第に 埋 (うづ) もれて
大船(たいせん)岸に つながれず  
風波 (ふうは) を凌ぐ 便 (たよ) りなし

68
赤崁 (せきかん)  城趾(じょうし)の大榕樹 (だいようじゅ)   
遙 (はるか) 沖 (おき) より ながめらる
海を行 (ゆ) くひと この樹 (き) をば 
目當てとなして 往來(おうらい)す

69
これより海路 (かいろ) 五十二浬 (り)  
澎湖島(ぼうことう)なる 媽宮港(まきゅうこう)
みなとの內 (うち ) は 水深く 
大艦巨舶 (たいかんきょはく)  泊(とど)むべし

70
更に汽車にて 中洲莊(ちゅうしゅうしょう)  
車路墘 (しゃろけん)過ぎて大湖街 (たいこがい)
半路竹(はんろちく)経 (へ) て 阿公店(あこうてん) 
橋仔頭(きょうしとう)より 楠仔坑(なんしこう)

71
東北指して 行くときは  
蕃薯(いも)に名を得し 蕃薯寮(ばんしょりょう)
樟脳 (しょうのう) 出だす 甲仙埔(こうせんほ)  
急ぐ旅とて 立ち寄らず

72
舊城(きゅうじょう)過ぎて 打狗港(たかおこう)  
縦貫 (じゅうかん) 鉄道 ここに盡 (つ) く
商船 (しょうせん) 常に輻輳(ふくそう)し 
百貨 (ひゃくか) は日々 (ひび) に 山を為す

73
なほも支線に 乗りかへて  
三塊厝(さんかいせき)を 通り過ぎ
をんらい(パインアップル)出づる 鳳山(ほうざん)に 
曹公圳(うこうしゅう)を 探るべし

74
後庄(こうしょう)越えて 九曲堂 (きゅうきょくどう)   
一里東に 阿緱街(あこうがい)
下淡水 (しもたんすい) の 河口 (かはぐち) に 
東港(とうこう)といふ 港あり
75 トップヘ
これより五里の 海上に  
かすかに見ゆる 小琉球 (しょうりゅうきゅう)
長さは一里 幅 (はば) 半里  
何 (いづ) れの家 (いへ) も 鹿 (しか) を畜(か)ふ

76
枋寮(ぼうりょう)枋山(ぼうざん)楓港(ふうこう)と  
海辺(うみべ)の路を 辿(たど)り行く
山はせまりて 海をせめ  
波は激(げき)して 岩を噛(か)む

77
車城(しゃじょう)に注(そそ)ぐ 四重溪(しじゅうけい) 
その川上(かはかみ)の 石門(せきもん)は
両岸 いはほ そば立ちて  
恰も門の 狀(さま)をなす

78
明治七年 我が軍が 
頑強(がんきょう)なりし 牡丹社(ぼたんしゃ)を
劇(はげ)しく攻めし 所なり  
途(みち)に記念の 碑を探(さぐ)れ

79
皇沢(こうたく)日々に 霑(うるほ)ひて  
學(まな)びの庭に 蕃童(ばんどう)が
われ劣(おと)らじと 集(つど)ひ來て 
御國(みくに)言葉の 花ぞ咲く

80
気候はいつも 暖(あたた)かに  
春の如しと 聞こへたる
恆春(こうしゅん)街に いたりなば  
求(もと)めて來たれ 胡蝶蘭(こちょうらん)

81
ここにて西部 はてぬれば  
海路東岸 さぐらんと
たよりを待ちて 海浜(かいひん)の 
大板轆(だいはんろく)を船出せり

82
バシイ海峽 隔(へだ)てたる  
ルソンと遙か 相むかふ
最南端の 鵞鑾鼻(がらんび)に  
大燈台を 設けたり

83
鼻を まはりて 北方に 
船路をかへて 進み行く
海上遠く 紅頭嶼(こうとうしょ) 
雲(くも)か山(やま)かと 薄(うす)がすむ

84
島のめぐりは 九里あまり 
太古のさまを 見る如き
いと あわれなる 蠻民(ばんみん)が  
二千ばかりも 住むと聞く

85
やがて卑南(ぴなん)に 寄港(きこう)せり  
台東一帯 未開の地
天與(てんよ)の遺利(いり)は そのままに  
人の來たりて 取るを待つ

86
黒潮に沿ひ 進みつつ  
次に立ち寄る 花蓮港(かれんこう)
移民の計畫 歩を進め  
開拓(かいたく)事業 起こりたり

87
これより沿岸 二十餘里  
幾千尺の 斷崖(だんがい)が
海にせまりて 聳え立ち  
船を寄すべき 所なし

88
蘇澚(そおう)の港に 船をすて  
宜蘭(ぎらん)の平野を 橫ぎりて
それより山路(やまぢ) 分(わ)け入らば  
深坑(しんこう)地方に 到(いた)るべし

89
浜辺(はまべ)の路を 越(こ)え行けば  
三貂角(さんしょうかく)は右に出づ
領台役(えき)まっさきに  
近衛の軍の 上陸地

90
これより元へ 帰る道  
黃金(こがね)掘(ほ)り出す 牡丹坑(ぼたんこう)
尚も瑞芳(ずいほう) 金瓜石(きんかせき)  
寶の山は 連(つらな)れり