こんにちはUBです。
今日は少し自分のことを書こうと思います。まれな例かとは思いますが、万が一自分と同じような状況の方がいた場合に有益な情報になると思うからです。
しかし、内容的にあまり明るい話ではないので、ご了承ください。
今日はかなり個人的な経過です。
台湾でリウマチになった話①
今日のブログのまとめ
長いので今日のブログの内容をまとめると
中国語でリウマチは類湿風性関節炎
台湾で病院にかかる場合は内科免疫科、または内科風濕免疫過敏科
台湾の医療水準は日本と同レベル
慢性病の治療は先生との相性も大切(個人的感想)
台湾ではリウマチ治療は西洋医学と漢方を組み合わせて行っている人も多い
リウマチとは
関節リウマチとは、関節が炎症を起こし、軟骨や骨が破壊されて関節の機能が損なわれ、放っておくと関節が変形してしまう病気です。
腫れや激しい痛みを伴い、関節を動かさなくても痛みが生じるのが、他の関節の病気と異なる点です。
手足の関節で起こりやすく、左右の関節で同時に症状が生じやすいことも特徴です。
その他にも発熱や疲れやすい、食欲がないなどの全身症状が生じ、関節の炎症が肺や血管など全身に広がることもあります。
自分の免疫細胞が自分自身を攻撃してしまう自己免疫疾患です。現在は対処療法の薬はたくさん開発されていますが、根本治療は難しく、罹患したら一生付き合っていかなければならない疾患です。
私の人差し指の付け根の関節はすでに骨破壊によって変形してしまっています。
リウマチを発症した時期と状況
私は2013年に台湾でリウマチを発症しました。リウマチは遺伝的要素もあるようですが、私の血縁にリウマチ患者はいません。完全なる環境因子です。
当時私は妊娠中に人生を揺るがすようなかなりショックなことがあり、それは短期間で解決する問題ではなかったため、精神的にも体力的にもかなり無理をした状態で出産、新生児の育児をしました。リウマチは産後にかかる人も多いようで、私もそのタイプだったのだと思います。
2人目の出産の後、1年ほど経過したときに、右手ひとさし指の付け根が痛み熱を持ち腫れていました。今考えると、毎日毎日ものすごい体がだるかったです。特に午後になると体が重く辛かったのですが、夜中に授乳も継続していたので、そのせいだと思っていました。痛みをしばらくほっておくと、右の肩関節も痛くなり、腕を上にあげられなくなりました。
リウマチは左右対称に痛みが出る場合が多いようですが、私の場合は全部右半身に症状が出ます。
いろいろおかしいと思い、まずは整形外科(台湾では骨科)を受診しました。レントゲンを撮るも骨に異常はなく、「子育てで腕の使い過ぎ」という診断をされました。
そんなわけあるか!とネットでいろいろ調べ、まさか…まさか…まさか…リウマチ?うそでしょ?と症状的にかなり可能性が高いという思いと、別な病気であってほしいという思いとともに、リウマチを疑って台湾で内科免疫科を受診しました。台湾では免疫科と過敏(アレルギー科)が合わさっているところが多いです。病院によって微妙に違いますが、風濕免疫過敏科といいます。
症状を伝え、レントゲンや血液検査をしたところ、やはりリウマチが濃厚といわれました。とりあえず初期治療の薬をもらいました。
30代前半でしたからね。一生続く慢性病との望まない出会いに、マジか…とそれはそれは落ち込みました。
ちなみにリウマチの中国語名は(類湿風性関節炎 レイスーフォンシングァンジエイェン)です。長い名前。
日本の病院でセカンドオピニオン
台湾でリウマチと診断された頃、日本への帰国の予定がありました。日本でリウマチ科がある病院を予約しました。(私の実家はものすごい田舎なので、病院を予約するといっても一苦労です。その上当時3歳・1歳の子を連れて長時間診察待ちをするのも、かなりの負担でした)台湾での血液検査の結果と処方された薬を持参し、リウマチ専門に見せると、症状と血液検査からみてリウマチで間違いないと言われました。と同時に台湾で処方された薬を見せると、初期対応として妥当な薬だと言われました。
覚悟はしていましたが、日本の医師に否定してほしかった気持ちがなかったわけではないので、まぁ、ここでもまた落ち込みましたね。でも、私は台湾で生活していくので、診断や薬の妥当性から台湾の医療を信用していいと思えたのがよかったことです。
リウマチ治療の先生探しで迷走の巻
初期治療の薬を飲み始めましたが、痛みが一向に改善せず、手の関節、肩関節以外に膝関節も痛むようになり、歩くのも苦労するようになりました。走るなんてもってのほかで、見た目には全く健康なのに、信号を時間内に渡り切れないほどでした。これには精神的にかなり参りました。今後どうなってしまうのかと。1歳と3歳の子を抱えて、走れないというのはかなり致命的です。
また、あごの関節にも症状が出て、大きな口を開けられなくなりました。ハンバーガーが食べられないという状況でした。
医師1人目は人気の女医さん
最初に私を確定診断してくれた医師は、よく行く病院でネットの評判もいい人気の女医さんでした。ですが、初期治療の薬で全く症状が改善しないと伝えても「あなたの血液数値でそんなに痛いわけがない」と言われてしまい、別な医者にかえました。
2人目は慎重すぎる女医さん
2人目の医師は同じ病院の女医さんです。この先生はいい人でしたが、慎重すぎて副作用を恐れすぎてなかなか薬を追加してくれません。リウマチは初期治療が肝心で押さえ込むことで関節破壊を防止するというのが最近の見解のようなので、骨が破壊されてしまう前に一刻も早く関節症状を改善したかったのですが、いつまでたっても薬を追加してくれないので、医師を変えることにしました。
今書いていて思い出しましたが、この先生に「あなたの膝は60代ぐらい劣化している」と言われ、ショックすぎて泣きながら病院から家に帰ったことを思い出しました。のちに診察した先生がその見解を全否定してくれましたが、この時はショックでした。
3人目はきっといい先生だった台大病院の先生
そして、台大の先生を探し予約しました。その先生は今までの経過もきちんと聞いてくれ、今思えばとても的確な処方をしてくれた先生でした。台大病院に行ったことがある方はわかると思いますが、患者の数がものすごく多く、作業も事務的です(批判しているのではなく、そういう形で機能している台湾一の病院です)。
ですが、薬剤部で受けとった薬の飲み方がわからず診察室に戻ってつたない中国語で質問すると「あ''?」と冷たく睨まれました。台湾ではよくある対応で、向こうは忙しいので、もっともな反応だったと今は思うのです。相手の先生も怒っているのではなかったと思うのですが、当時の私は身も心も弱り切っていたので、こういう事で心が折れてしまい、その先生を主治医にはしませんでした。
4人目はネットで探した榮總の先生
このころ内服の分子標的薬がとても効果があるという新聞の記事を見て、私も飲んだら希望があるんじゃないかと思っていました。主人がネットでその薬を処方してくれる先生がいるという情報を仕入れてくれたので、家から1時間程かかる病院でしたが、榮總の先生の予約を取りました。
その先生は人気があり、いつも患者さんがあふれている状態でした。でも、レントゲンを撮っても撮影予約したことを忘れるくらい(結果を確認しない)、患者さんがたくさんいる状態だったのと、希望していた薬を処方してもらえず、「あなたの病状でその薬は必要ない」と言われました。結局3か月ほど通院しましたが、関節の痛みが改善しないままだったので、また先生を変えることにしました。
5人目は家の近くの病院の先生
次に探した先生は、家の近くにある総合病院の先生でした。今までの経緯を話し、症状が全く改善しないことを話すと、きちんと話を聞いてくれた上で、まずは症状を改善した方がいいと、希望していた分子標的薬を処方してくれました。するとびっくりするくらい劇的に膝と肩関節の腫れ、あごの痛みが改善し、かなり楽に生活ができるようになりました。
この先生にかかっている患者さんは他の先生と変わらないくらい多かったですが、いつも穏やかで、きちんと説明してくれる先生で、信頼できると思えました。
この先生は残念ながら引退してしまったのですが、その下の先生が引き続き診察していてくれるので、今も私はこの病院に通っています。結果として6人も先生をかえている私です。
症状が出てから、自分と合う先生にあえるまでに約1年かかりました。慢性病にかかると先生との相性はとても大事だと思います。幸いなことは、台北市に住んでいるとたくさんの病院、医師を探せる点です。この点についてはとても幸せなことだと思います。
漢方薬と鍼の漢方医も試しました
途中、西洋医学と並行して漢方医(中醫)にも通っていました。1年くらいでしょうか。漢方の先生も3人ほど変えて通いましたが、私の場合には痛みに対して全く効果がなく、「全然改善しない」というと漢方医にむっとされてしまい、匙を投げられた感じです。
加えて私はずぼらでめんどくさがりなので、漢方を一日3回飲むというのも難しかったので、仕方のない結果です。針治療にも行きました。これも私はあんまり効果が実感できませんでした。
台湾の多くの人に慢性病だから西洋医学と漢方を並行して治療していった方がいいと言われたのですが、私の性格的に無理でした…。
ちなみに今は薬がとてもよく聞いていて、あごやひざ、頚椎、手など時々痛みがある程度で、運動もできるくらいコントロールができています。将来のことを考えるといろいろ不安になることもありますが、考えてもなるようにしかならないので、深く考えません。
次の記事で台湾で受けられるリウマチの医療費についてご紹介します。