こんにちはUBです。
ご無沙汰しておりました。と台湾の葬儀
10月の連休中に台湾に来てからとてもお世話になった主人の祖母が亡くなりました。その時の記事はこちらです。
おばあちゃんが突然亡くなったことも結構ショックだったのですが、台湾に来てから親戚が亡くなったのも、お葬式に参列したのも初めてだったので、なにせ勝手がわからず、10月があっという間に過ぎ去っていきました。
ブログはいつもパソコンで見たり、書いたりしているのですが、パソコンを開く時間がなかったり、開く気になれない日が続き、すっかりブログがご無沙汰になりました。
いつも訪問してくださっている皆様失礼しました。
7日ごとの法事
亡くなってから7日ごとに法事があり、約3週間後に葬儀という日程でした。ちなみに家は仏教徒です。
葬儀屋さんに一切をお任せして、葬儀屋さんと喪主である主人のおじさんが主となり段取りを決めていました。
7日を区切りにするのは日本と同じですが、火葬はまだ済んでおらず、おばあちゃんの遺体は葬儀場に保存してありました。でも、亡くなった日に葬儀場に安置して以来、次に会えたのは葬儀の日でした。
法事では何をするかというと、基本的に位牌に向かってお経をあげます。
一回に4時間の日と2時間の日がありました。
休憩をはさんで4時間。長丁場です。しかも一回目の法事は、夜の19:00~23:00という時間設定でした。お経を唱えてくれる人の都合がつかなかったということです。
法事は、家族の日・娘の日・孫の日など法事ごとに割り当てがあるようです。義母曰く、故人に向かってお経を唱え、亡くなったことを伝え、安心して天国に行くよう法事を重ねるとか。
台湾で読まれるお経はまるで歌のように抑揚があるので聞いていて心地の良くなるようなお経です。法事の時のお経は経典を配られ一緒に唱えるのですが、漢字の脇に注音がふってあったので、私も一緒に読めました。
ここで小話。
法事でお経を読んでくれたのは、お坊さんとおばさん2人で3人一組になっていました。毎回違う人が来てくれたのですが、一人のお坊さんが休憩中に堂々とアップルソーダ(頻果西打です)を飲んでいて、私はびっくりしてしまいました。お坊さんて堂々と法事中に炭酸飲料飲むの!?と…。
義母に聞いたら、彼らは本物の修行をしているお坊さんではなく、法事や葬儀でお経を読むことを仕事としているお坊さんなのだそうです。
本物のお坊さんを依頼しなかった理由は2つありました。
1つは料金の問題。本物のお坊さんは高額なのだそうです。
もう1つはおばあちゃんがお肉が好きで野菜はあまり好きではなかったので、普通は精進料理のみをお供えするところですが、家は仏前に鶏肉をお供えしていました。本物のお坊さんを前に、仏前に鶏肉を置くのは忍びないという理由でそうしたそうです。
なるほど。いろいろあるんだなという感想です。
それから、おばあちゃんは中国語よりも台湾語と日本語で生活していた人なので、お坊さんには主に台湾語で話してもらうよう依頼していたそうです。そんなわけで、台湾語がほとんど聞き取れない私は、お経の部分以外は聞き取れなく、もごもごお坊さんが何かを言っていて「何を唱えているんだろうなー」と思っていたわけです。で、終わってから義母さんに「あれは何を唱えていたの?」と聞いてみたら、「何言ってるかさっぱりわからなかった」と…。「ええええええー」です。ネイティブが聞き取れない言葉はおばあちゃんには届いているのだろうか?と疑問に思ったのでした…。
法事でお経を唱えているとおばあちゃんを思い出して涙が出てきたのですが、毎回法事の後にこんなことがあり、最後はなんというか…びっくりして終了する感じでした。
日々の拜拜
台湾では葬儀までかなり日にちが空きます。その間、朝と日没前に故人が洗面できるようにと洗面器にお水をタオルを準備するそうです。
家はおばさんたちが交代で位牌のある葬儀屋さんに通っていました。もうおばあちゃんのためにできることはそれしかないとはいえ、毎日朝晩通う義母さんは日に日に疲れが見えて、大変そうでした。
それ以外に主人も毎日のように拝みに行っていたので、私もできる限り同行していました。
108個の蓮の花と元寶
私が10月中に何に忙しかったかというと、それは「折り紙」です。もちろん法事もあったり、義母が疲れ果てているので、できる限りご飯を作ってあげたりということもあったのですが、一番時間を割いたのが折り紙です。
台湾の仏教徒は火葬の際に棺に108個の蓮の花を模した折り紙と「元寶」という昔のお金を模した折り紙を入れるそうです。元寶はあの世のお金になるそうで、法事の際にもお供えして燃やします。できあがっているものを売っていますが、義母さんがおばあちゃんのためにやってあげたそうだったので、折り紙が好きで親戚で一番暇な私が手伝いました。
18枚一組で一つの蓮の花ができます。
こちらは台付きの蓮の花。
元寶は法事ごとに100個ほど、棺には260個入れました。数に決まりはないそうです。
おばあちゃんを思いながら折り紙をして過ぎて行った10月です。
葬儀当日
台湾の葬儀はとても厳粛でした。喪主を先頭に世代ごとに跪いて拝み、それ以外家族は葬儀の間立ちっぱなしでした。家族以外の参列者は遺体を見る時間がなく、ちょっと線香をあげて会場を後にします。日本だったら親族以外でもお顔を拝見して故人と対話できる時間がありますが、おばあちゃんの葬儀ではそれがありませんでした。家族以外にはずいぶんあっさりしている印象でした。
葬儀の後、おばあちゃんの遺体は火葬場へ運ばれ荼毘に付されました。ちなみに火葬場に行けるのは親族のみで、遠い親戚などはついていきません。これも日本とは違う点でした。
そして、日本ではお葬式の後葬儀会館などで、精進落としのお膳をいただく習慣がありますよね。台湾でも精進落としの食事の習慣があるのですが、田舎の方ではケータリングを頼んだり、台北市内ではレストランに移動して食べるというのが一般的なようです。家では、火葬の後でベジタリアンレストランで全員で食事をしまいした。
円卓での食事の中心におばあちゃんがいないことに慣れない食事でした。
子供と葬儀
前回も書いたかもしれませんが、おばあちゃんが亡くなったのがあまりに突然で、亡くなった知らせをもらったとき、子供がどういう反応をするかを考える暇なくおばあちゃんの家に子供を連れて行ってしまいました。そして遺体を見せてしまいました。もちろん生きていく上で必要な経験だとは思いますが、子供にとっては結構ショックだったようです。
家に帰ってからも普通にしていたのですが、その晩寝ていた上の子が深夜に突然嘔吐し、下の子は数日間夜中に何回も目を覚まして私に抱き着いてきて、表面には見えないショックを受けていたのだと知りました。
私の祖父が亡くなったとき子供を連れて日本に行き、葬儀・火葬まで一緒に連れて行ったのですが、あまりなじみのない私の祖父と、日常的に会っていた台湾のおばあちゃんでは子供にとってショックの度合いが違っていたのだと思います。
法事は学校の時間だったり、夜だったりと子供の生活とあまり合わなかったので、時間があう一回だけ参加させました。それは2時間の法事だったので、最初の30分くらいで先に連れて帰ろうと思っていたのですが、子供が最後までいたいというので、2時間参加しました。注音付きのお経を一緒に唱えました。最後のほうは下の子は飽きていましたが、それでも騒いだりぐずったりせず、空気を読んで行動できるようになったことに成長を感じたのでした。
台湾では、火葬場に子供は連れて行かないそうです。葬儀には参加し、子供と一緒におばあちゃんの遺体にお別れも言いましたが、参加したのはそこまでで、火葬場には大人だけで行きました。
葬儀を終えた感想
日本では少なくとも亡くなって一週間以内に葬儀や火葬を終え、その後に法事を重ねますよね。おばあちゃんが亡くなって最初の頃は日本も台湾のように少し時間をかけて葬儀を迎えられる方がゆっくりお別れができるなと思っていました。でも、実際体験してみると、違った印象になりました。
法事を重ね、折り紙を折り、いろいろな思い出がよみがえり、毎日のように拝みに行って体も疲れてくると、ぐっと悲しみが増してきます。肉体的疲労も相まってかなり感情的になっているところに葬儀を迎えるのです。そんな中で遺体と対面しお別れをしなければならないのは、かなり酷なことだと思いました。
こういったら語弊があるかもしれませんが、おばあちゃんは高齢だったので諦めもつきますが、自分の親や夫、もしかしたら子供でこの行程を踏まなければならないのかもしれないと思うと、胸が張り裂けるな。と思いました。どちらにしても人が亡くなって悲しいことに変わりはありませんが。
そんな台湾での葬儀の経験の共有です。経験したくないことですが、避けては通れないことですね。おばあちゃんと最後に食べたご飯が中秋節で、週末に空を見上げたら満月でした。一か月前はおばあちゃんはまだ生きていたのだと思うとまた、切なくなりました。