こんにちはUBです。
UBには2人子供がいます。生まれたときからほとんど台湾で子育てしています。
下の子はこの9月から小学生になりました。
が、学校が始まって一週間もせず学校に行き渋られた話を書こうと思います。
全然台湾と関係ないですが、台湾の学校の先生のドライな反応も合わせて書こうと思います。
表現が面倒なので、ブログ中の子名前は、上の子=ヨウ 下の子=サン にします。
台湾の小学校に行き渋られた話
幼稚園時代の話
ヨウは幼稚園に入園するときは約1か月、毎日行きたくないと朝に泣いていました。
でも当時3歳。未知の世界に行くのは怖かったんだろうなと思っていました。
一方のサンは毎日ヨウのお迎えに連れて行っていて、守衛さんや先生たちとも面識があり、園庭で一緒に遊んだりもしていたので、幼稚園に入園するときはほとんど泣きませんでした。
そんな経緯もあって、小学校にはヨウもいるし、サンはすぐに小学校に慣れるだろうと思っていたのです。
第1ラウンド:行き渋りの経緯と対応
夏休み中はサンも小学生になるのをとても楽しみにしていたので、まさか行き渋ることになるとは考えてもみなかったので、とても焦りました。
学校が始まって1週目の金曜日。
起きた途端にソファーに横になり着替えも食事も拒否するサン。
この時たぶん行きたくない気持ちを認めてあげればよかったんだと思うのですが、一緒に行くヨウが遅刻してしまうので、「早く、早く」とせかしてしまったのです。
サンはどんどん意固地になり動こうとしないので、とりあえずヨウを先に学校に行かせました。
ここでどう対応するのが正解なのかよくわかりませんが、どう働きかけても動かないので、学校を休ませる判断をしました。
先生には「学校行きたくないと渋っていて、行かせようとするとますます嫌がるので、様子を見ます。とりあえず遅刻します」とメッセージで伝えました。
学校が始まって一週間、いじめがあるとも思えないし、先生も女の先生で怖くないし、サンのクラスには幼稚園の同級生もいて独りぼっちというわけでもないだろう。学校に行きたくない原因とは?
と、まじめに原因を考えてしまったのですが、よく考えてみたらきっと理由は「なんとなく疲れて行きたくない」だったと思うのです。
一週間毎日朝7時前に起きて、今までは幼稚園の先生が手取り足取りだったのが、突然自己責任の世界に入り、「何となく不安で、何となく疲れて、ちょっと休みたい」それを言葉にできないからとにかく「行きたくない」と。なったのかと予想します。
サンは6月生まれなので、9月からが区切りの台湾の小学校ではかなり小さいほうになります。小学校くらいだと遅い生まれの子はやはりハンデがあるとも思います。
でもこれは落ち着いて冷静になってから考えたことで、その時はとにかく学校に行かせなくちゃと思って焦ってしまってました。
いや、別にその日に学校に行かなくてもいいとは思っていたのですが、その日休ませることで、今後も疲れたときは行くのを渋ったら行かなくていいんだと思われたら嫌だと考えていました。
おそらくサン自身も「本当は行かなくちゃいけない」という思いはあって、だけど行きたくない気持ちとの葛藤にどうしていいかわからなかったのか、泣いて暴れてすべての体力を使って抵抗してました。
最終的には泣いてすっきりしたのか、「休むのは今日だけ、来週からはきちんと学校に行く」という約束で金曜日は学校を休みました。
(余談ですが、サンへの対応を巡って主人とも大喧嘩をし、一家がめちゃくちゃになった週末でした)
さて、日本の小学校で入学後一週間の子が学校に行きたくないと渋ったら、先生はどう対応してくれるのでしょうか?
サンの担任の先生にはメッセージを送って「好的。(わかりました)」という返信だけで電話などはありませんでした。良くも悪くもずいぶんドライなんだな。という印象です。
第2ラウンド:学校で大暴れ
第1ラウンドの後、週が明け、朝起きてからの様子を観察し、今日はどうだろう?と様子をうかがっていましたが、月曜・火曜と普通に楽しそうに学校に行ってほっとしていた水曜日…。
学校行きたくない。着替えたくない。
で、でたー。です…。
まずは、反省をいかして行きたくない、疲れた気持ちを汲み取りました。
でも、やっぱり行きたくないといいます。
しかし、もう主人と話し合い、対応は決めていたので、そのまま本人を放置し、とりあえずヨウの準備を整えました。
幸いサンはまだ体が小さいので、着替えようともしない、靴も履かないパジャマのままのサンを抱えて車に乗せました。
車の中で着替えるように促しても着替えず、靴も履かないまま学校に到着してしまったので、私も覚悟を決めました。
泣き叫ぶパジャマのままのサンを抱えて教室までとりあえず運びます。
警備員のおじさんには加油!とか笑顔で言われ、普段は親は申請しないと校舎に入れないのですが、主人とともに特別にいれてもらい、眼鏡を引っ張られ、マスクを引きちぎられ、たたかれ、皆様に何事かとみられながら教室に着きました。
教室に着いたらおとなしくなるとみていましたが、担任の先生が来てくれても私をたたいて泣いて行きたくないと抵抗し、先生もようやくサンの状況を理解してくれたようでした。
新一年生で、先生はクラスの子をお世話する必要があるので、サンをかまってる時間はありませんでした。それは仕方のないことなので、おちつくまで仕方ないか、と私がずっとそばにいました。
教室の外で20分ほど抵抗していたあと、泣き疲れたのか、冷静になったのか、泣き止みました。それでも着替えるのは嫌だというので、教室の外の椅子に座って抱っこし、しばらく二人でぼーっとし、気持ちが落ち着いて「着替える」というので、着替え、学校に行けるというので、1時間目に少し遅れて授業に参加させました。
先生には「次こういうことがあったら、お母さんは付き添わず、そのまま置いて行ってください」と言われました。
え、パジャマで?と思いましたが、そんな揚げ足取りはやめます。
この一件のあと、毎日戦々恐々としていますが、「疲れて着替えたくない」ということはあっても、意地でも学校に行かないということはなくなりました。
担任の先生はしばらく、学校に一人でこれたご褒美にとサンにだけこっそり帰りに飴をくれたそうです。元々単純な子なので、それが楽しみで学校に行くリズムをつかめたと思います。
小学1年生で居眠りしちゃうって…
そして昨日の話。
サンを迎えに行くなり「怒られて立たされたけど、宿題ほとんど学校でやってきたよ!」
ん?
宿題をやったことを褒めてほしい顔をしていましたが、母はその前の言葉が気になって仕方ありません。
立たされたって何?のび太の世界なの?と
息子曰く、眠すぎて算数の時間に机に突っ伏していたら、先生に机といすを移動されたから立ってるしかなかった。と。
私が想像するに、先生はきっと何度もサンにきちんと坐るように促していたと思うのですが、堪忍袋の緒が切れてしまったのでしょう…
小学1年生、学校に通い始めて1か月から居眠りするサン…。将来が心配になります。
弁解のために書きますが、前の日は夜8時半に寝ていますよ。
罰站と罰寫
ところで、台湾では「罰站 fá zhàn」という言葉があります。
悪いことや言うことを聴かない子を罰として立たせるということです。
私が小学生の頃も「立ってろ」という先生はいましたが、今は日本でもあるんでしょうか?
台湾では体罰は基本的に禁止されていますが、罰站というのは今でもあるようです。
今回のサンのように眠い子を立たせるのは効果があるかもしれませんが、悪いことをしたとき、椅子に座らずに立っていていたからと言って何が変わるんでしょうか?立つのが嫌で次から悪いことをしないとも思えませんが。
また、「罰寫 fá xiě」というのもあります。反省文的なものです。
ヨウはよくこれをさせられていました。先生の言うことを聴かなかったときに、「国語の文章を3回書く」などよくさせられていたようです。これならまだ有益ですが、時には「もう遅刻しません」とか、「授業中に話をしません」など、いけなかったことを10回とか書かされるということもあるようです。
先生によって対応は違いますが、今は問題があると親も黙ってはいないので、いろいろと大変ですね。
あの子にこっそりエールを
最後に話がそれましたが、実はサンを送っていった日に、隣のクラスにも泣きながらお父さんに手を引かれてきている子がいました。
でも、その子はきちんと着替えて、靴も履いて、泣きながらではあっても自分の足で歩いて教室まで来ていました。私としてはそれだけでえらいと思いました。次の日も泣きながら、パンをもってお父さんに手を引かれて登校していました。もうそばに行って「あんたはえらいよ」とほめちぎりたい気持ちでしたが、それはただの怪しい外国人のおばちゃんなので、心でそっと応援しました。爸爸也辛苦了!
こんな出来事も5年後、10年後には笑い話であったらいいなと思っています。