30記事記念!こんなつたない記事のブログを見て下さりありがとうございます。感謝、感謝です。
今日は20記事記念の続き、管理人UBの恋愛の話なので、台湾情報をお求めの方はスルーして下さい。
結婚を決める時に国際結婚、国際恋愛している方のブログを読み漁り、自分に似たような人がいないか、うまくいかない場合はないのか(失敗したくないから)などなど調べていました。
とにかく不安で仕方なかったんですよね。
だから私の経験をこのブログの自己紹介カテゴリーにこっそりと書いて、もし国際恋愛や結婚に悩む方の参考になればと思っています。
私はすごく田舎の生まれで、おまけに両親は割と堅い仕事をしていることもあり、私はかなり保守的な考え方をする方だと自分では思います。
台湾人の彼と出会うまでは自分が国際結婚をするとは夢にも思いませんでした。
もしかしたら外国籍の人と付き合う、または知り合いたいと考えている方の中には、ハーフの子がほしいとか、相手の国に住みたいなどいろいろな理由はあると思います(賛否があるとは思いますが、私は人生に打算は必要だと思います)
私の場合、以前のホームステイの経験から、「台湾」という国は肌になじみ、好きな国でしたが、住みたいとか、台湾人と結婚したいとはみじんも考えていませんでした。台湾人夫との出会いにも書きましたが、台湾旅行でローカルスポットを廻りたいからと旦那に近づいた経緯があるので、付き合い出して、しばらくするまでは、国際結婚も考えていませんでした。
転機は主人の帰国
主人と出会ったころ私は社会人になりたてでしたが、自分の仕事もだんだん慣れてきて、主人との付き合いも安定した頃、主人の帰国する時がきました。
主人は元々留学生だったので、学校を卒業と同時の帰国が最初から決まっていたのでした。主人は学生をしながら、家族経営の会社の手伝いもしていたので、そのまま日本にいるという選択肢はありませんでした。
彼の帰国と同時に別れるという選択肢も考えたりしました。ですが、たくさん二人で話し合ってとりあえず遠距離恋愛をしてみて、ダメだった時に考えようという結論に至りました。こんなとき私は常にマイナス思考、彼はプラス思考です。
ここから国を跨いで遠距離恋愛のスタートです。
まだスマホもない時代の話なので、連絡は基本メールでした。家のパソコンにスカイプを入れて、家にいるときはスカイプ繋ぎっぱなしとかもしていました。
彼は自営業で、私は割と連休が取りやすい仕事をしていたので、2か月に一度くらいのペースでお互いが行き来していました。幸いなこと台湾は近いんですよね。これが距離がある国、時差がある国だったら私達は多分別れていたと思います。遠距離恋愛にも向き、不向きはありますよね。会いに行くだけでお金がかかるし、普段は一緒にいないから相手を信じるしかないし。
物理的な距離はかわりませんが、今はSNSも発達しているし、格安航空会社もたくさんあるし、海外の「距離」は10年前とは比べ物にならないくらい近いと感じています。
遠距離恋愛のその後
そんなこんなで、1年以上遠距離恋愛を続けてしまったわけです。続いてしまったというべきか。
さて、今後どうする?と常々考えていました。
選択肢
1、別れる
2、彼が日本に住む
3、私が台湾に行く
4、このまま遠距離恋愛
2はすぐ消えました。彼の方が収入があり、私が日本で彼を養うのは現実的に無理だったからです。
4を選ぶ人もいるかもしれませんが、歳も歳でしたし、このまま漠然と付き合うのは私には限界でした。
1か3しかない。
3を選んだら仕事のキャリアもなくなるし、日本を離れることになる。
1を選んだら結婚できないかもしれないから一人で生きる覚悟が必要。
と、これは人生の大きな決断なので、迷いに迷いました。一人で考えるだけではなく、友達、占い師、果ては全然知らない近所の台湾料理屋の台湾人にまで相談しました(でも、彼のアドバイスはかなり響きました)。
で、出した答えは3。の妥協案。
とりあえず、仕事を辞めて1年間語学留学をする。自分が台湾で生活できるのか試すという決断でした。結婚はまたその先に。ということです。
実は親にまだ彼氏が台湾人だとは話してなかったので(離れて暮らしていたので、台湾にしょっちゅう行っていることも黙ってました)家の近くに父が出張で来た際に一緒に飲みながらまずは父に話しました。父は私が高校2年で台湾1か月ホームステイから帰ってきて台湾シックになっていた私をみて、「こいつ将来台湾に住むって言いだすんじゃないか」とうすうす予感があったそうで、あまり驚いていませんでした。やってみれば?という感じ。
家の母親は保守派で冒険は一切しない人です。私が決断した後の事後報告だったので反対はされませんでしたが、かなり心配をさせていた(今も)と思います。
そんなこんなで、仕事を辞め、語学学校の留学手続きをして、いざ台湾へと来たのでした。
次回40記事記念に台湾に来てからを書きます。